==ガッティの拳==
それはスローモーションのようだった。彼は静かに、そして鮮やかにマットへ沈んでいった、、、
NJ、アトランティック・シティで行われたWBCウェルター級タイトルマッチ、その9R、3階級制覇を目指す挑戦者のアルツロ・ガッティは王者カルロス・バルミデールとの打ち合いの中、力なく頭からマットの中へと倒れていった。おぼつかない足でどうにか立ちはしたが、その後、バルミデールの連打を受け、レフェリーにより試合はストップされた。バルミデールの完勝だった。
私は試合後の観客が引き始めた頃、プレスカンファレンスへ行くべきか、いや、もう行く必要はないのではないか?と、考え、迷っていた。
試合開始はお互いに慎重な立ち上がりだった。そして会場からは早くも大きなガッティコールが叫ばれ、ガッティが右アッパー、フックと攻め始めるとバルドミールもそれに応戦し、両者アグレッシブルにパンチを交換し合い、1Rの終了のゴングが鳴った。
しかし2R、バルドミールのスピードに乗った右ストレートが再三ガッティの顔面を捉えるようになる。ガッティはその右に全く反応することができないでいた。3Rにはお互いに激しく打ち合う場面が見られ、観客総立ちの中、意外にもガッティの方がぐらつきこのラウンドを終える。
再び激しい乱打戦の予感が会場を包みだした。しかしそれは決してガッティのペースで試合が進んでいる、ということを示すものではなかった。4R以降、打ち合う時、常にガッティはロープに背を預け、バルドミールの回転のスピードに苦戦を強いられた。
ガッティも負けじと左フックを何度もバルドミールの顔面にクリーン・ヒットさせるがそれ以上にパンチをもらってしまう、バルドミールはタフで、また二人の間の体格的な差が影響し始めていた。
そして7R、ガッティは打ち合いを避け足を使い、アウトボックスを始めた。なんとかペースを自分のものにしようとしていたのだろう、8Rにはそのきっかけを掴みかけたようにも思えたが、しかし9R、、、
ガッティは英、仏、西、そして伊と4カ国もの言葉を喋ることができるらしい。それは彼がイタリアで生まれ、その後カナダのフランス系カナディアンが多く住むモントリオールで育ち、そして1991年から現在までΝJのジャージー・シティに住むという生い立ちの中で身に付けたものだった。
そしてガッティがこの間、出会ってきたものは様々な国の言葉だけではなかった、ボクシング、というものに出会ったのだ。ガッティはその時、8歳だった。
ΝJに移った年、ガッティはアマからプロのボクサーと転身する。そして、その後の誰もが知る数々の激闘は、、、もはや記す必要もないのだろう。彼はその中で幾つかのベルトと数多くの栄光を手に入れたのだった。
しかし、この日の第9R、そのボクシングとの出会いから26年目、彼はその出会いから別れる瞬間を迎えようとしていたのかもしれない、、、
このラウンドの2分が過ぎた頃、打ち合いの中から、バルミデールの左フックがガッティの顔面を、打ち抜いた。
ガッティが崩れ落ちた瞬間、それは彼のボクサーとしてのキャリアが終わりへと向かってゆくかのように映った者もいたかもしれない。そう、あの瞬間はまるで、彼のキャリアを通じての蓄積されたダメージが溢れ出したかのようでもあったからだ。
しかしNJは今のガッティの地元であり観客のほとんどがその彼を観にきて、また彼の勝利を信じていた。だから、または観客の中には彼があのダウンを喫することで本当の試合はここから始まるのだ、と思う者もいたかもしれない。信じられない程、私達はそれを過去に見ているからだ。
しかし再び立ち上がった彼には今までのように相手の拳に答えるような力は残されてはいなかった、、、そして試合は終わった。
ガッティの拳、それは言葉とおき換えてもよかっただろう、
これまで会話をするかのように相手の拳を受けては、それを返してきたアルツロ・ガッティ、そんな彼の拳は、彼が喋れるどの国の言葉よりも洗練され、そして力強い言葉のようだった。
しかし、彼の相手には、そして観客にはもうそれは響くことはないのかもしれない、彼は試合後のプレスカンファレンスで引退を考えていることをメディアに伝えた、ようだ。後日、インターネットでそれを知った。
結局、私はそれを聞きには行かなかったのだ、、、
長い時間、私は帰りのバスが来るのをバス停で待っていた。もう既に深夜の2時半を回っている、2時間以上、ここで待っていた。
その間、私は思い続けていた、
ガッティはリングの上で全てをもう語ったはずなんだ、と。
———終わり
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