去年のことだ。僕が米西南バスの旅から戻り、ジムに行った時、知り合いの一人のボクサーが言った。
「お前知ってるか?アガピト、死んだんだって。」
アガピト・サンチェスはWBOスーパーバンタム級の元世界王者だった男だ。今ではパウンドフォーパウンドの候補にも名が挙げられるフィリピンの雄、マニー・パッキャオが昇り龍となる直前にサンテェスは過去、互角の試合展開で負傷判定の末のドロー防衛をしたこともあった。
しかしその後、ケガで王座返上、その王座を同国選手のホアン・グスマンが獲得し2年後にそのタイトルに挑戦、しかしパワーで上回るグスマンンに7回TKOで敗北した。復帰後はマイナー団体の王者となり、母国ドミニカでトレーニングを続け再度、世界王者になることを目指していた。
僕が初めてスパーリングでダウンをしたのはこのサンチェスとの時だった。
サンチェスは90年代後半から故郷ドミニカ共和国を離れ、NYでトレーニングを行っていた。彼が剥奪された王座を取り戻すグスマンとのタイトル戦が目前に控えていてた頃、僕は彼と同じトレーナーで、元2階級制覇の世界王者、ジョーイ・ガマチェの元でトレーニングをしていたことがあった。調整段階に入っていたサンチェスに汗を軽く流させる為に僕は彼とスパーをすることになったのだ。
「軽く、軽くだ。」
笑顔でそう言っていた彼はしかし、ゴングが鳴るとこの動き貧しいアマチュアの日本人向かって狂ったようにパンチを叩き込んできた。
(アガピト!言ってることと、やってることがまるでちがうぞ!)
と思った瞬間には僕はマットに尻餅をついていた。その後も「分かった、軽くだ。」と言っては再開すると狂い、トレーナーが止め、再会すればまた狂う。
一瞬、彼は馬鹿なのではないかと思った。
その繰り返しで結局スパーはすぐに終了してしまった。
「アガピト、殺されるかと思ったよ。」
僕が言うと、
「死ななくてよかったな。」
彼は笑ってそう言った。
地下鉄でサンチェスと偶然出会ったことがあった。彼はWBOのタイトルを獲得した際に作ったと思われる、背中に”WBO World champion Agapito Sanchez"と刺繍されたジャンパーを着ていた。
「もう一度、チャンピオンになるんだ。」
彼はジムへ向かう間、何度もそう口にした。リング外で見る彼の身体は本当に小さかった、背丈で言えば165�にやっととどくかと言う高さだった。彼に以前のスパーのことを話すと「そんなこともあったけなぁ、」と笑った。そしてジムにつく頃、彼は僕に尋ねてきた、
「日本には俺と同じ階級(Sバンタム)の奴らがいっぱいいるんだろう?今度チャンピオンになったら日本で防衛戦をやりたいな、ファイトマネーがいいんだろ?」
僕が多分ね、と答えると、
「まだ稼がなきゃいけないからな。」
彼は笑ってそう言い、それが僕にとって彼とかわした最後の言葉だった。
今年の初夏、一人の黒人の小さな少年がジムのロッカーに貼られていた一枚の写真を眺めていた。そこにはベルトを巻いた一人のボクサーの写真をプリントした紙が貼られていた。
その写真を見つめる少年はぼんやりとも、熱中してるとも言えない表情をしていた。ただ、その瞳は潤いに満ち、輝いて見えた。
「あれ、アガピトの息子だ。」
僕のトレーナーのマイクがそう呟いた、
それを聞いた後も、僕には彼の表情からは何ら、感情を読み取ることはできなかった。
2005年11月13日、ドミニカ共和国・サントドミンゴの酒場で女性がらみのいざこざの中、争い相手の軍人に腹部を撃たれ、後の15日、アガピト・サンチェスはこの世を去った。享年35歳だった。
二人の幼い息子達が残された。
ー終わり
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