今、日本のボクシング界でも子供のボクサー達が年々増えているようだ。ジム内では子供も大人と同じように鏡の前でシャドーをし、バッグをたたき、ロープを飛んでいる姿が見える。幾つかのジムでは子供達を対象とした全国規模の大会もここ2、3年で始まってもいる、それだけ参加する子供が増えているのだろう。各大会ではそれぞれが独自の階級分け、採点方法や運営方針を持ち、まず子供の安全を考えた上で開かれ、認知もされ始めている。しかし、それはまた少年、少女を対象としたボクシングの全国統括機関が存在しないということを意味する。
ボクシングのメッカ、アメリカでは8歳から16歳未満の少年少女達を対象としたJrオリンピック・プログラムというものがある。アメリカではJrアマチュア公認のトーナメント、勝敗記録のないジム内のクラブショー、何にしても子供達が試合をするのであれば、Jrアマチュアが定める統一されたルールを使用しなければならないのだ。
コロラド州、スプリングにあるオリンピックセンターがアメリカのアマチュアボクシング機関であるUSボクシングの本部だ。その下にLBC(Local Boxing Committee)と呼ばれる州単位で地区分けをされた各機関でJrオリンピック・プログラムが各自運営されている。また州自体が広大なNYなどは4つのLBCを持つ。
そんなアメリカのJrオリンピック・プログラムとはいったいどのようなものなのだろうか。また現地のプロやトレーナーは子供のボクサーをどのように考えているのだろうか。
1、Jrオリンピック・プログラム
【クラス、デヴィジョン分け】
アメリカの8歳から16歳未満の少年少女達を対象としたJrアマチュア・プログラムでは、年齢により4つのディヴィジョンに分けられ、さらに体重によるクラス分けで試合が行われる。ディヴィジョンにより試合時間やクラス分けに多少の違いがあるようだ。
●バンタム・ディヴィジョン〈8、9、10歳〉
3R各1分、インターバル1分
クラス分けはなく、5パウンド以内の体重差で行われる。8歳は8、9歳までと9歳は9、10歳までと試合をすることができる。LBCのクラブ(ジム)やトーナメントのみ参加可能で、リージョナルやナショナルレベルの大会には参加はできない。
●ジュニア・ディヴィジョン〈11、12歳〉
3R各1分、インターバル1分
クラス、60、65、70、75、80、85、90、95、101、106、110、114、119、125、132、138、145、
●インターメディエイト・ディヴィジョン〈13、14歳〉
3R各1分30秒、インターバル1分
クラス、70、75、80、85、90、95、101、106、110、114、119、125、132、138、145、154、165、176、189、201、
●シニアジュニア・ディヴィジョン(オリンピック・ディヴィジョン)〈15、16歳〉
3R各2分、インターバル1分
クラス、80、85、90、95、101、106、110、114、119、125、132、138、145、154、165、176、189、201、201+、
まずバンタムではクラス分けはなく、5パウンド以内の体重差までが試合相手を選ぶ基準となる。Jrになるとクラス分けが始まり60〜145パウンドまで約5、6パウンドづつ分けられる。試合時間はバンタムとは変わらない。
インターメディデイトからは日本での中学生にあたる13、14歳という成長期を迎える子供達を対象とする為、クラスも試合時間も前2ディヴィジョンからは変わりが見えてくる。試合時間は30秒増え、3R各1分30秒。そしてクラスでは80〜201パウンドまで分けられる。
そしてシニアジュニアはオリンピック・ディヴィジョンとも呼ばれ、Jrアマチュア最大のトーナメント、Jrオリンピック・ナショナルトーナメントに参加できるのもこの頃だ。試合時間も3R2分となり、クラス分けでは201+パウンドが追加される。
201パウンド以上と言えばまさしくアマチュアのスーパーヘビー級、プロでのヘビー級であり、実際にそのような子供達が出場すると言うのだから改めて日本人とアメリカ人の体格の違いに驚かされる。
クラブショーやローカル・トーナメント(Jrオリンピック・トーナメント以外)などの場合は最大24ヶ月までの年齢差、体重はバンタム同様5パウンド以内の体重差で相手が決められる。そして、もしジュニアにあたる12歳の選手とインターメディエイトにあたる13歳の選手がデヴィジョンを超えて試合をする場合、低い年齢のディヴィジョンに合わせた(この場合は3R1分)試合時間で行われる。
【グローブ、ヘッドギア】
グローブは106パウンド以下、106〜152パウンドまでが10オンス、そして165〜201までが12オンスを使用する。ヘッドギアは鼻までを覆うようなフルフェイスのものではなく、視界を遮らない程度まで頬を保護されたものを使用する。持ち込みはUSAアマチュア・オーガナイゼーションに承認された物のみ使用可能で、試合当日にJrアマチュアから借りることもできる。Jrアマチュアではまだ頭の小さすぎる選手等もいる為、フィットされたヘッドギアを選ぶのはセコンドの責務である。
コーチは試合中二人までがセコンドにつくことができる。
【トーナメント】
Jrアマチュアでは数多くのトーナメントが年間で行われているが、その中でも4大メジャー・トーナメントとされているのが、Jrオリンピック、シルバーグローブス、リングサイド、そしてPAL(Police Athletic League)というトーナメントである。これら以外にもさらにトーナメントはあるが、ルールは全てUSAアマチュア・オーガナイゼーションが定めたもので統一されている。
基本的にどのトーナメントもLBC(州)大会、14の地域別、4の軍事部隊別(アーミー、ネイビー、マリーン、エア・フォース)で行われるリージョナル(地区)大会を経てナショナルトーナメントへと進むわけだが、Jrアマチュア最大の大会Jrオリンピックは唯一、シニアジュニアデヴィジョンのみがナショナルトーナメントまで進むことができる。ちなみにJrオリンピックは6月に毎年開催され、その勝者はその後の世界大会へさらに進むことができる。そしてまた、USAアマチュア・オーガナイゼーションがスポンサーとなり運営されているのもJrオリンピックのみで他のトーナメントは各自それぞれに異なったスポンサーを持っている。
【保険】
以下はアマチュア、Jrアマチュア共通のものである。
USAボクシングではアマチュアライセンス獲得時から毎年$45の加盟料を取り、その大部分が保険料へとまかなわれている。加盟した選手がUSAボクシングの承認した試合でアクシデントにあった場合の保険料の最大保証範囲は$25,000までである。
この承認された試合とはローカル、クラブ(ジム)、LBC、リージョナル、ナショナルそしてインターナショナル、どのレベルに対しても有効で、合計$25,000までの治療料、手術料、入院料そして歯科料までがまかなわれる。またそのうちの$100がUSAボクシングへ備え料として差し引かれる。またイベントで起こった死亡事故では死者に対し$10,000が支払われる。
【制限期間】
アマチュアの試合ではRSC(プロで言うKO)負けをすると、ダメージ、ケガの度合いと医師の判断によりRSC(H)となり次の試合までスパーリングの禁止や出場制限をされることがある。コンディショニングやメンテナンス程度のウェイトトレーニングは許される。
●RSCー制限期間はない。
[例]ミスマッチ(一人のボクサーがボディーブローにより相手を圧倒した場合)、または頭部以外のケガ。
●RSC(H)(30)ー30日間の制限期間。
[例]一つのラウンドに3回、または全ラウンドを通じて4回のスタンディング8カウントを主に頭部に受けた場合。ダウンはしなかったが明らかに激しいブローを頭部に受けた場合。
頭部にブローを受けダウンしたが、立ち上がりレフェリーに対してもしっかりと反応したが、それでもレフェリーが試合を止めた場合。
●RSC(90)ー90日間の制限期間
[例]ボクサーがノックダウンし意識を失い、2分以内で通常の反応を示さない場合。
リングサイドにいる医師が決めた意識を失っていた時間の長さにより制限期間は変わる。
●RSC(180)ー180日間の制限期間
[例]ボクサーがノックダウンし意識を失い、2分以内で通常の反応を示さない場合。
リングサイドにいる医師が決めた意識を失っていた時間の長さにより制限期間は変わる。
*一人のボクサーが相手の反則打を受け勝利したが、そのボクサーが頭部へのブローにより意識を失った場合も同じ各制限期間を受けなければならない。
また、2回目のRSCH負けが1回目の制限期間終了後、90日間に起きた場合は次のようになる。2回目のRSC(H)がRSC(H)(30)後に起きた場合、90日間の制限期間を受けなければならない。同様に90日後は180日、180日後は365日となる。
【事故防止】
試合中では緊急事態に備え、1人かまたそれ以上の医学医師あるいは整体医師がリングサイドに席を持たねばならない。彼等は試合中に起きたアクシデントによっては試合を中断、止める権限がある。またメジャーなトーナメントの試合会場では、いずれかの場所に救急車を止めることのできる敷地を確保しなければならない。
ボクサー達は試合の前後に必ず医師の診察を受けなければならない。事故防止としては常に会場にはドクターが待機している。また、(危険な)地域、大規模な会場など、必要とされる(定められてはいない)場合は警察も姿を現す。もしも起きてしまった事故に対しては、ドクターの判断にともないその場での治療や病院への輸送、その後の保険による補助などで対応している。
このようにしてみるとJrアマチュアのルールはデヴィジョンや階級分け、試合時間など子供達の成長に合わせて制作されていることがよく分かる。
Jrアマチュアによってアメリカの場合は早ければ8歳からボクシングのキャリアをスタートさせることができるのである。中にはやはり早くから才能を見せトーナメントで結果を残す子供達もいて、16歳でアマチュアデビューする頃には100、200戦を超えるキャリア、5〜10ものタイトルを獲得する者さえいる。
事故については日米のプロ、アマ同様に完璧には防ぐ手段はないのである、と調べている中感じた。アメリカも日本のようにボクシングは常に危険を伴うスポーツであるとの見方は変わらないという。そのため、レフェリーやアマチュア役員等も試合の事故に対しては非常に敏感である。やはり、一つの統括機関の責任、ルールのもと子供達が試合を行なうことが一番の事故への未然防止策になり、それに関わる大人達の細心の注意がなにより大切なのであるのではないだろうかと思う。
2、トレーナーの考え
アメリカのトレーナー達は子供のボクサー達に対しどのような考えを持っているのだろうか。私はNYにある名門グリーソンズジムを訪れ、アマチュア、プロそして実際に子供達をトレーニングしているトレーナー達にその考えを聞いてきた。
子供達が早くからボクシングを始めることに対してはどのトレーナーも皆、ほぼ良いことと考えているようで、どの年齢から始めるのが適切かと言う質問にはそれぞれ6〜12歳という返事が返ってきた。早くから経験を積むことは悪いことではなく、それはどのスポーツとも変わりはない、というものだった。
しかし真剣に厳しくトレーニングやスパーリングを始めるのはいつ頃が適切かという質問では12〜17歳と、アマチュア・ボクシングが容認される16歳前後と年齢は大幅に上がった。どうやらその理由にやはりボクシングが他の球技等のスポーツと比べ相手を殴り、ダメージを与えることで勝利に近づくという特異なものであり、またそのダメージや子供の成長に対しての考慮が彼等にはあるようだった。
プロのトレーナーであり”On the Ropes”というオスカーでもノミネートされたことのあるドキュメンタリー映画に出演していたハリー・ケイトは言う、
「俺の考えでは12歳が、始めるのには最も良い頃だ。学校やストリートでいろいろなことを経験し、物事を考え始める年頃だし、身体もできてくる頃だからな。そして真剣にボクシングをやるとなると俺は18歳までは待った方がいいと思う、勿論本人のやる気次第ではもっと早くたって構わないが、ある程度、物事への認識力があってからの方がいいと思うんだ。」
数人の世界王者を育て、現在も元クルーザー級世界王者ウェイン・ブライスウェイトをトレーニングしているレノックス・ブラックモアは15歳が適切だと考える。
「9、10歳で身体に大きな変化が出始めて、いろいろとやり始める年頃なんだ。その後にボクシングを始めるなら、俺はトレーニングをしっかり教える気があるな。」
元スーパーライト級世界王者のビビアン・ハリスを現在トレーニングし、自身の息子もボクシングをアマでしているデレン・パースリーは言う、
「俺は17歳がいいと思う。息子にはバスケやベースボールをする為に金を使ったけど、11歳の時に自分からボクシングをやりたいと言ってきたんだ。いろいろやった中でボクシングを選んだのならしょうがないと思った、ただ俺自身は教えてなかったけれどな。でも今は息子が教えてほしいと言ってきたのもあるけど、わりかし自然に一緒にトレーニングをするようになってたよ。」
彼自身は息子にボクシングをするように望んだことはなかったのだと言う。そして息子がジムに来るようになっても自分ではなく回りのトレーナー達にまかせ自由にさせていたようだ。しかし去年のNY、ゴールデン・グローブスのファイナルでの敗戦を機に息子がトレーニングを父に頼み彼等は今、今年の優勝に向け共にトレーニングをしている。
その他にも数人のトレーナー達に聞いた話しも大体が似通ったものだった。つまり全体的な答えとしては、ボクシング自体を早く始めることに問題はなく、むしろ遊び、様々なスポーツの内の一つとしてやるのならそれは良い経験だと考えているようだ。その後、勉強や異性のこと、社会的なもの等を少しずつ知る中でボクシングを最終的に選ぶのならば、その時は本格的なトレーニングを始めるときだと皆が考えているようだ。そしてほとんどのトレーナーが口を揃えて言っていたことは、Jrアマチュアのプログラムはこれからボクサーを目指す、または新しいことの経験に触れる子供達にとってはすばらしいものだ、と言うことだ。
グリーソンズジムのオーナーで82’〜86年までの4年間、USAアマチュアのトップであるナショナル・チェアマンをしていたこともあるブルース・シルバーグレイドは言う、
「このJrアマチュア・プログラムは日頃学校や家では経験することのできない”自分を信じる”と言う点では、とてもポジティブなものだと私は信じています。」
このグリーソンズジムでは極めて子供達と大人やプロとの壁は薄いものだった。彼等は大人達と気軽に話し合い、練習とは呼べそうもない遊びのようにサンドバッグをたたき、大人達とじゃれ合うようにスパーリングをしていることもあり、何より子供同士でジム中を走り回り遊ぶ姿がそこにはあった。まだ中学生にも見たない子供達は殆どがジムには遊びにきている感覚なのだろうし、回りの大人達もそのように接している。あまりに子供達が遊び回るためジムの関係者が彼等をしかる様になってからは幾らか収まったが、彼等が楽しんでジムへ来ていることだけは確かなようだった。
テリー・ガージョンはカメラマンでプロボクシングの試合やこのジムを10年以上撮り続けてた中、このような変化を感じている。
「10年前から子供はジムにたくさんいたよ。やっぱ大体は親、そう父親が連れてくるんだね。あれから今までに変わったことがあるとしたら、それは母親だけで子供を連れてくる姿も今では見かけるようになったことだね、昔では考えられなかったよ。」
このジムの周辺環境の改善も手伝ったのだろうとも彼は言ったが、それではボクシングが親達に良い印象を与えるようになったか、と言えばそうでもないようだ。親達はあくまでもピアノやスイミング等の習い事と同じ感覚で子供にボクシングをさせているようだ。実際にジムで子供の練習を見に訪れていたある母親に「もし真剣に子供がボクシングをしたいと聞かれたらどうします?」と尋ねると、「先のことだし、それはまた別の話しですよ。」と困った顔をして子供の練習を見つめていた。
しかし子供以上に自分の子がボクシングをすることに関心を持つ親も当然よく見かけ、そんな親達はジムのトレーナーを時に困らせることもあるようだ。多くの少年少女を教え、Jrアマチュアの選手もいるダン・サクセビーはそんな子供達を連れてくる親についてこう語る。
「俺はまず子供はボクシングで遊ばせて、その子のやる気を見てるんだよ、ただ、それを(親である)彼等に納得させるのは大変だよ。親はどんな小さなことでも見ているし、一日中、子供についてる親もいるしね。」
それでは子供達自身はどのように考えているのだろううか、Jrアマチュアの試合経験もある11歳のカリーク君は言う、
「僕は9歳でボクシングを始めました。親戚のおじさんが昔ボクシングをやっていて、僕にやらないかって誘ってくれたのがきっかけです。父は最初は反対していたけど、僕が毎日頼み、真剣なのが分かってからはジムに行くことを許してくれて、応援もしてくれるようになりました。」
このカリーク君のように練習に来ている子供達はどの子を見ても非常に楽しそうに動いているのが印象的だ。ジムや街、各州によっては子供達の練習環境も違いはあるだろう、しかしこのジムでは子供が大人と接する機会を持つことで学校や外では得ることのできない、何らかの経験を得ているのだと私は彼等を観ていてそう感じた。
4、親子の行方
そんなグリーソンズジムでトレーニングを行っている子供達の中に一人、11歳ですでに数個のJrアマチュアタイトルを保持する少年がいる。
1年前の2月頃、”シュガーボーイ”と皆に呼ばれるこの少年がJrアマチュア・トーナメントである、シルバー・グローブス・ナショナルトーナメントで優勝した数日後、地元NYタイムズの記事に載ったことがあった。
記事の大まかな内容としては彼と彼のトレーナーでもある父とのボクシングを通じた関係についてのもので、”The Senior Is the Hammer,the Junior Is the Nail” という言葉を見出しに、つまり父が金槌のように動かぬ釘のようである息子を打ち続ける、とでも訳そうか、そんな父の息子に対する厳しいトレーニングについて疑問を投げかけたものだった。
そこで書かれているジム内の人間達のコメントも彼等のトレーニングに対しては否定的だった。「まるで15ラウンドものワールドチャンピオンシップに出るかのようだ。」、「彼等はこれからマイク・タイソンかあるいは他の強豪と試合でもするのか。」これらの意見は全て彼等に好意あるが故のものである。が、しかし彼の父は「誰にでもそれぞれの考え方があると、私は考えている。」と言い、様々な批判を受
けながらも自分の信念を貫いていた。また息子自身も父の厳しいトレーニングに辛さを感じながらも、その道を望んでいた。「(厳しいトレーニングでも)構わないよ、もしこれが僕をチャンピオンにしてくれるのなら、僕は気にしない。だって僕はそのベルトが欲しいんだから。」
そして彼が雨の中ランニングをしているところで記事は締められていた。
シャリーフ・ヨーナンJr、彼のことを皆は”シュガー・ボーイ”と呼ぶ。彼がよくキャンディーを食べていたことからそう呼ばれるようになった。シュガー・ボーイは8歳から始めたJrアマチュアでタイトルをすでに5つも獲得し、現在Jrアマチュア110パウンドにおいてアメリカナンバー1にランクされている。その戦績は200戦以上して負けはJrアマチュアのデビュー戦と、その後16戦目に喫した2敗のみで今現在、自分でも何連勝しているのか分からないのだと言う。
シュガー・ボーイがボクシングと出会ったのは彼が15ヶ月のときだった。父が彼をベビーカーに乗せてこのジムへやって来たときのことだ。彼はその時のことをよく覚えている、
「ボクシング・グローブとヘッドギアがリングにおいてあったんだ。あの時は小さかったから、登るようにしてリングに上がってね。それでそのグローブとヘッドギアをつけたんだ。大きすぎてブカブカだったけど、パンチを振ったのを覚えてるよ。」
その後、彼がトレーニングを真面目にするようになったのが5歳になる頃だった。
その理由は、と聞くと彼は笑いながら、「僕は生まれたときからボクシングの中にいたんだ。」と言い、そしてそれは父と自分が互いに求め合ったからだ、とも言った。
小さなときはただ厳しい練習をこなすだけだった。父がミットを構えると、シュガー・ボーイはパンチをそこへ打つ。打ち続けているうちに彼は疲れ始め、両腕が下がりだすと父は容赦ないスピードで息子の横っ面をミットで叩いた。小さな身体の彼は、時には吹っ飛び、そしていつも目には涙が溢れ出した。休みの日曜も家の近くの公園で8マイルを走るのが日課だった。またある日では、彼よりも3、4歳上の子供相手に10ラウンド近くものスパーを続けさせ、それを見ていた他のトレーナーがたまらずリングに止めに入ったこともあった。そのようなトレーニングだったから、彼等の回りのトレーナー達も記事のように2人のことをとても心配していた。
それでも彼はジムの外の父を「ベストフレンド」だと言う。父のシャリーフ・ヨーナンSrも言う、
「ジムでは厳しいことがあるかもしれないが、外に出れば私達は友達のように映画を観に行ったり、バスケをプレーしたり、欲しがるものは何でも与えている。ジムでは私達はトレーナーとファイターだが外に出れば父と子になり、その関係は他の親子よりもより深いものだと思っているよ。」
確かにトレーニング前後の彼等の姿は親子以上の友人のようだ。父にいたずらをしては隠れるようなことをする息子はいつも笑顔で、ベストフレンドと言う彼の言葉に偽りはないようだった。父もトレーニングさえ終えれば息子を自由に遊ばせた。息子はジムにいる大人のトレーナー達や選手達といつも喋ったり、年の近い子供達とジム内を遊び回ったりしながらも、いつも決まって最後には父の元に戻っていくのだ。
シュガー・ボーイの母は父と離婚をし、その時に家を出ていた。彼が生まれてから11ヶ月が経った頃のことだった。その理由をシャリーフはボクシングではなく、あくまでも互いの個人的理由だったと言う。彼が息子を連れジムを訪れたのがその数ヶ月後のことだった。
「僕達のことをいろいろと言う人もいるけれど、そんな人は分かってないんだ、父がどれほど僕のことを思ってくれているのかを、、、それでも理解してくれている人達も中ではいるよ、父は僕にとってベスト(トレーナーでフレンド)だって。」
そう言い、シュガー・ボーイははにかんだ。
あの記事の中ではまた、今後、彼等の関係の行方をなぞるかのようにして二人のスーパースター、フロイド・メイウェザーJrとロイ・ジョーンズJrの親子関係についても触れられていた。彼等もまた幼い頃に父がトレーナーだったが、上手く関係を築き続くことができず、いつしか決別してしまった過去を持っていた。しかしこの時、ようやくジョーンズJrは長く決裂していた父を再び自分の陣営に招いた頃だった。しかし一方のメイウェザーJrはいぜんとして父と連絡を絶ったままであった。記事の中でシャリーフは言っていた、
「私は彼等から学んでいる、息子に対し何をしてはいけないのかを、だ。」
そしてこうも言う、
「私が求めているのは息子がいつしか世界チャンピオンとなる姿を見ることだ。もしそれが、私がその道から外れることで叶うのなら、私はそうするだろう、何の問題もない。」
それがほぼ今から1年前の話しだ。
2007年、4月現在、シュガー・ボーイ、シャリーフ・ヨーナンJrと彼の父、シャリーフ・ヨーナンSrは変わらずグリーソンズジムで共にトレーニングをしている。しかし今、あの頃と比べ大きく変わったことが2つある、1つはシュガー・ボーイが成長期に入り著しく身体が成長したことと、もう1つはシャリーフの息子に対してのトレーニングが以前程激しく、厳しいものではなくなっていることだ。シャリー
フは言う、
「息子はあれから1年の間、さらに多くの経験を積むことでボクシングをより理解し、責任感を持ち始めてたんだ。だから私はアプローチを変えたんだよ。今では何より彼自身が激しくトレーニングをするようになった。」
それは結果が彼等に力を与えたからだ、とも言い、今では共にトレーニングをエンジョイできてもいるのだ、と言った。
彼等はこれから4月末に開催されるJrアマチュアのLBC大会に向けてトレーニングに励んでいる。今年はその他にも3つのトーナメントに出場する予定で、その中にはUSランク1位のアメリカ代表として彼の息子が選ばれた、6カ国で対戦する世界トーナメントも含まれているのだと、シャリーフは語った。
「僕の(ボクサーとしての)ゴール?それはこのまま勝ち続け、アマチュアでゴールド・メダルを取り、プロで世界チャンピオンになって、もちろん幾つかの階級のね。
それで、お金を稼いで、戦績は、そうだね35戦35勝35KOみたいで、それで引退することだよ。」
とシュガー・ボーイは話しながらまたはにかんでこう言った、
「もちろん、そのときは父もずっと一緒だよ。」
あれから1年、メイウェザー親子にも変化があった。今年の5月5日、オスカー・デラホーヤの持つWBCスーパーウェルタータイトルにフロイド・メイウェザーJrが挑戦をするすることが決まった。この対戦が決まった当初、デラホーヤのトレーナーであり、メイウェザーJrの父でもあるフロイド・メイウェザーSrはセコンドを引き受けると発言していたが、後に約2億円ものトレーナー料を要求し、デラホーヤがそれを拒んで新たにフレディー・ローチをトレーナーとして迎えるという形でメイウェザーSrは舞台を降りることになった。
また後に彼は「やはり、息子とは戦うことはできない。」と語っている。
15年程経った時、シュガー・ボーイ達の行方はどこにあるのだろう、、、
5、アマ、プロへの影響
それではもし、子供達が早くからボクシングをはじめその後、アマからプロへと進むことでJrアマチュアでの経験はどれほどの影響があるのだろうか、元統一王者ザブ・ジュダーの父であり彼のトレーナーであるジョエル・ジュダーは言う、
「ザブは6歳からボクシングを始めたんだ。私がジムに連れてきたのが最初だった。彼は実際に動いてみると、それは素晴らしいものだったよ。スパーリングでは近い年齢の子供よりも遥かに良い動きをしていたし、よくトレーニングをしていた。Jrアマでは5つタイトルを獲得して、アマでもゴールデン・グローブスやナショナルトーナメントで勝ち進み、18歳でプロとなり20歳で世界チャンピオンになったんだ。」
それではプロのキャリアに影響はあったのかとの問いには、
「そりゃ、もちろんだ。たくさんの経験をJrアマのころから彼はしてきた。大きなトーナメントを小さい頃から経験していたことが、彼の今の成功に結びついているのは間違いないな。」
実際に現在、その他の多くのアメリカのトッププロ達もJrアマからキャリアをスタートさせているようだ。フロイド・メイウェザーJr、オスカー・デラホーヤ、シェーン・モズリー、ロイ・ジョーンズJr、等名前を挙げればきりがないほどだ。どうやら早い時期からのボクシング・キャリアのスタートはその後のプロへの影響も小さくはないようだ。
しかし全ての王者達が幼い頃からボクシングを始めたわけでは当然ない。このジムでトレーニングをしているビビアン・ハリスは13歳頃だったようだし、タイトル復
帰に向け引退を撤回したウェイン・ブライスウェイトは17歳からだと言う、
「一体いつボクシングを始めるのがいいかなんて俺は知らないよ。俺は17歳でボクシングを始めたが、ちゃんとチャンピオンになれたし、金も稼げた。小さな頃から始めることは悪いとは思わないけど、結局はそいつのやる気次第で時期はそんなに関係ないんじゃないか。」
それぞれが自分の意見を持つ中、アマチュアの試合を10年以上見守り続けているドクターであるオスリック・キングは印象的なことを語った、
「私の考えでは子供達が早くからボクシングを始めるということは、それだけ早くボクシングの技術を学べるということで、つまりそれはリングで起きる危険を回避する能力も身につけることでもあるのではないか、と考えているよ。」
アマチュアボクシングはどのスポーツよりも球技等よりもケガの少ないスポーツだと言ったのは、LBC・メトロポリタン・プレジデントで、PALボクシングクラブのディレクターでもあるジョー・ヒギンズだ。
また彼や元ナショナル・チェアマンのブルース・シルバーグレイド、ナショナルレベルでレフェリングをしたこともある審判達やドクター達、様々な人間達に聞いて回ったが、この2、30年の中でクラブ、ローカル、リージョナルそしてナショナル、どのレベルにおいても”重大な事故”はJrアマチュアの試合において見たことも、聞いたこともない、と口を揃えて言った。
それはアマチュア役員、トレーナー、選手、回りの大人達が子供達の安全を守り続けた、ということもあるだろうし、あるいは子供達が私達大人の考えている以上に心身ともに逞しくあるからかもしれない。
現在アメリカでは7000〜8000人の子供達がJrアマチュアに登録をしている。その中で僅かな子供達は後の世界チャンピオンになっているかもしれない。または、他の競技のプロアスリートになっているかもしれないし、あるいは弁護士に、ドクターに、アーティストに、作家になっているかもしれない。
もし、どんな子供達でもいずれは何らかの職を持ち(あるいは持たず自由人、という生き方もある。)社会に出るのだとしたとしたら、その時に”小さな頃自分を信じ
戦ったことがある”という経験が彼等の中に僅かでも残っていたとすれば、それをJrオリンピック・プログラムの本当の目的が達成されたときだと考えても良いのではないだろうか。
また、そうした子供達が大人になり、直接的、間接的にボクシングを支えてゆくのかもしれない。
———終了
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