==バルドミールが示せたもの==
NJ、アトランティック・シティで行われたWBCウェルター級タイトルマッチ、大方の予想を覆し、王者のバルドミールは挑戦者で3階級制覇をもくろむアルツロ・ガッティを9R、TKOにより破った。バルドミールの明確な勝利であった。
あるいはカルロス・バルドミールはこの瞬間に初めて本物の王者だと認められたのだろう。
何故なら、それはタイトルを獲得したザブ・ジュダーとの試合は、単にジュダーの練習不足から来る取りこぼしであったのだろう、と多くの者は考えていたからだ。彼はあの時から、この瞬間まで、まだ王者として認められてはいなかったのだ。
また何故、ナチュラルのウェルターの彼に対し、下の階級から上がってきたガッティの評価の方が高かったのかと言えば、それは私達が、ガッティの今までのファイトはよく知っていても、バルドミールの今までのファイトはあまり知らない、というただ、それだけの理由ではなかったか。
そう、彼等を同じリングに立たせた場合を予測したのではなく、彼等の過去のリングの結果をのみを見ていただけなのかもしれないのだ。
あるいはそれを知っていたのは私の隣に座っていた、彼等のようなアルゼンチン人達だったかもしれない。
私の席は最後尾のリングサイドの席だった。その隣にはアルゼンチン、バルドミールの地元サンタ・フェでラジオのDJをしていると言う、眼鏡をかけ、頭の禿げ上がった男と、しきりに電話をかけている彼の連れらしい白髪まじりの男が座っていた。二人とも幼い孫がいてもよさそうな年頃だった。
メインが始まる前、何やらスタッフと席のことについて揉めていた。
「この色のパスではここにすわれないんだ.大体、名前が席に書いてあるだろう?しかも、女の名前じゃないか!」
、、、、確かに私の席の隣にはアニータと書いてある。
「でも、ここに座れるって言われたんだ。ここに座れるって言ったんだ。」
彼は拙い英語でそう伝えていた。どうやら英語がそこまで達者ではないようだった。そして席を移れと言われている時に、他のアルゼンチン人だろうか、若い一人の男がその間に入りスタッフと話し込み始めた。
どうやら新しいプレスパスをもらえることで話しはついたようだった。二人は安心し、また多いに喜び、「ありがとう,ありがとう。」と何度も周りの者達と握手をした。何もしていない私にまでと握手を求めてきた。
その彼の眼鏡の奥の瞳は驚く程に澄んでいた。私はなんとなく彼と話してみたくなった。
「今のアルゼンチンはどうなんですか?その、、、経済とかが大変で、サッカーも良い成績を残せなかったようだし、、、」
「サッカーは悲しい結果だった。あれだけ才能にあふれていたのに、、、」
「でもよいチームでしたよ、今年のアルゼンチンは。」
「そう!すごいよかったんだ、チームとして!でも、やっぱり勝たないと皆、喜ばないんだよね、、」
「でもバスケットではオリンピックで優勝したじゃないですか?」
「そう!バスケは優勝したことで今、アルゼンチンでも人気の出てきたスポーツなんだよ!」
彼は私がアルゼンチンについて僅かでも知っていることを伝えると、「そうか、そうか、」と言い、喜んでは私の手を握り、振り続けた。私はそんな純粋に喜べる彼の姿を見て自分も嬉しくなっていた。
しかし彼もまた陽気そうに見えて、やはりここまで来るのに大変な出費を強いられたようだ、半分は自腹のようなことも言っていた。それは仕方のないことなのかもしれない。今、アメリカの1ドルがアルゼンチンでは3ペソ、約3倍もレートが違うのらしいのだ。そしてこうも言っていた、「今、アルゼンチン人はスポーツに依存している。」のだと、2001年に起こった経済破綻は、未だ暗い影を彼等に落とし続けているようだった。
だからバルドミールがジュダーに勝ったことはその影を消す程に(実際には消えてはいないのだが、、、)、または忘れさせる程に彼等の心を照らし、アルゼンチン人としての誇りを感じさせるものだったようだ。
「勝ったら、これを掲げるんだ!」
そう言って、ノートの間から2枚の小さな紙を取り出し、彼ははにかんた。そこには、
”サンタ・フェ。アルゼンチン。”。”バルドミール。チャンピオン”
と、スペイン語で書かれていた。その紙の小ささが彼らしく控え目に思え、微笑ましかった。
そして彼はバルミデールが勝った瞬間、両手ににその紙を握り、誇らしくそして高く掲げた。美しい澄んだ瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。
バルドミールはこの日、リングの中でを王者としての自分を、あるいはアルゼンチン人としての誇りを示すことができただろうか?
できたのだ、と私は思いたい。
バルドミールにはガッティに勝る、体格があり、スピードがあり,そして実力があったのだ、と。
そしてまたそれは、彼の相手がアルツロ・ガッティという、今の時代において稀に見る誰よりもリングの上で多くの言葉を持つ男だったからなし得たのだ、とも、、、
———終わり
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