ジムでは子供達が走り回り、練習をしている人間達も春の陽気さのせいか、あるいはいつもと同じか、締まりのない動きをしていた。トレーナー達もダラダラと話しをしている。それにしても人の数が多い。この時間帯が最も人間の集まるときのようだ。
そんな中、中村チカは一人、まるでたった一人で両腕を、休むことなく振り続けていた。サンドバッグを揺らし、声を上げた。残り30秒のベルが鳴ると、左右の連打を打ち続けた。
一つ一つのパンチに力がこもり、自然と声が溢れ出た。穏やかな夕方のジムの風景の中、彼女だけが張りつめていた。
インターバルのブザーが鳴ると中村はサンドバックに両腕を預け、肩で息をした。立っているのも辛そうだった。そして開始のブザーが再び鳴ると彼女は気合いを入れ直し、また打ち始める。
その時、近くにいるジムのトレーナーや練習生達は相変わらず笑って話していた。別に特別ここでは珍しくもない光景だったが、彼等に彼女の姿は目に入っているのだろうか、彼女の声はきこえていただろうか、また彼女自身はどう感じていただろうか、、、
汗を流し身体を振り乱す人間のすぐ傍らで、和やかに穏やかに笑い、話す人間がいる、あまりにも対極な空間だった。人はこのような空間に立った時どちらに、より自分を重ねるのだろうか?
そんな風景は滑稽に映ってしまわなくもなかった。
と、感じていた頃、にわかに彼女の周りの空気が変わり始めた。笑い声はなくなり、話す声は次第に消えていった。皆が彼女を見つめ始めていた。
それは共感を覚えた訳ではないのだと思う、彼女の姿に素晴らしさを感じた訳でもないのだろうとも思った。常にアメリカ人のトレーナー達は彼女のような厳しいトレーニングを毎日行うことに否定的であったからだ。
しかし、自分達のしていることに対して僅かな気まずさ、のようなものは感じているように見えた。そして皆がそれぞれに何かを思っていることだけは確かなようだった、その表情は感情のこもっていない、あるいはどの表情ともとれる微妙な複雑さが見えたからだ。
彼女の声が聞こえるたびに、痛みに似た苛つきを私は感じていた。
もし、同様に感じた人間がいたとするならば、私達が立っていたのはいったい、、
その声ではなく、その事実が私を苛つかせたのだろうか、
———終わり
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