疲れていた、のは確かだった。ただ、それが何に大してなのかはよくは分かっていなかった。よくは分かっていなかったのだけれど、ふと、ここからはなれ、何もしない時間がほしい、そう思っていた。
そんな時、カナダを思い浮かべた。僕のイメージのカナダはここNYと比べ静かで、穏やかで、安全だというものだった。自分にあっていそうだな、そうも思っていた。
しかし、特にこれと言った興味ももってはいなかったし、何がそこにあるのかも全く分かってはいなかった。
まぁ、そこに行かなければならない、ということもなければ、行って出さなければならない答え、も別にない。とりあえず、行ってみよう。と、いうことで僕はバックパックに僅かな着替えと、数冊の本を入れ、ある日、と言っても6月の17日、2週間の休暇を取り、早朝に自分のアパートを出たのだった。
== 移動手段として〈アムトラック〉==
アムトラックーアメリカで1971年に発足した、全米をネットワークする鉄道旅客輸送を運営する公共企業体。正式名称は、全米鉄道旅客輸送公社(National Railroad Passenger Corporation)で政府出資の株式会社という形態をとっている。アムトラックの名称は、American Trackに由来する。
グレイハウンド(Greyhound Lines, Inc.)ーアメリカ合衆国で最大規模のバス会社である。また、同社が運行する長距離バスそのものを指すこともある。アメリカ合衆国全土とカナダ、及びメキシコの一部の都市を結ぶ膨大な数の路線を持ち、アメリカ合衆国内においてだけでも3,100路線以上が存在する。1914年にミネソタ州ヒビングにて設立され、1926年にグレイハウンド・コーポレーションとなる。現在はテキサス州ダラスに本社を構えている。社名、およびロゴマークはドッグレースにおいてもっとも速い犬種であるグレイハウンドに由来する。 ーーBy Wikipedia
もし、北アメリカ大陸で自家用車がなく旅をするのなら陸地での選択肢は、アムトラックまたはチャイナ・バスとグレイハウンドのどれかを選ぶことになるだろう。
今までの僕はどの旅でも仕事の移動でもバスを使ってきた。理由は移動中の景色を眺めることができる、ことよりもまず安いからだ。(特に各州に存在するチャイナタウンを結ぶチャイナ・バスはグレイハウンドよりもさらに安い。こちらが彼等の経営を心配してしまう程だ(実際はしてない))。
しかし、安いだけあってやはり問題もある。今まで僕が経験しただけでも、時間通り進まないスケジュール。バスがエンスト。ドライバーが4時間寝坊で遅刻。高速でバスの乗り換え(もちろん故障により)。などなど、、、しょうがないと思えることから、思えないことまで、いろいろとあった。
そして乗客。彼等に金銭の予感はしない(自分も含め)。皆どこか余裕を感じさせない必死さ、があり疲労がにじみ出ている(自分を含め)。バス・ステーションで彼等と列を作って待っていれば、今の自分の生活レベルがどこに位置しているのかが見えてくる(見たくもない)。汚れたバックパッカー達、多くの子供を従える夫婦、寂しそうな老人、、、、ある日、僕の友人は言っていた。かなりの貧しさが残る地域では肌の色に関係はなく、どの人種もだらしなく、働かず、どこかすれていて、皆同じように見えるらしい、、、貧しさに、負けてはダメだ。
しかし”生活の貧しさが、心の貧しさと結びつくとは限らない”かと言えば結びつくことの方が多いのではないか、と救いのないことを僕は時々思う。
日々の生活に金銭と時間、そして心を奪われ余裕を醸し出す余裕さえ僕達にはないのだ。もしも、天から、地から、別に人からだって構わない、もしもお金が僕らに降り注ぐなら、僕らだって何らかの余裕を得ることはできるだろう(またはそれ以上の何かを失うだろうか?)。
それでもそんな中には(バスの中には)素晴らしい人々も数多くいて、彼等に触れる度に僕は救われ、この考え方を改めるのだ(そして、またその逆の人間に出会い、失望し考えをまた変える、その繰り返しばかりだ!)。
そんな訳で(どんな?)僕は今回バスではなくアムトラック、鉄道を選ぶことにした。悪い部分を語るには、よい部分も知らなければならない、ということではなく、ただ楽にゆったりと旅をしたかったのだ、というのはもちろん事実だが、本当の理由はNYから最初の目的地、カナダサイドのナイアガラまで、どういう訳かグレイハウンドの値段よりもアムトラックの方が安かったからなのだ。
何はともあれ移動手段は決まった。移動手段として、以上の何がそこにはあるのだろう、、、
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