2004年4月、NYで地元ホープ達を中心に集めたボクシングの興行『ブロードウェイ・ボクシング』が月に1度、立地の良いNYCのマンハッタン・センターで始まった。
”ボクシングをNYに呼び戻す”そんなテーマを持って始められたこの興行、回を重ねることで今では定着し、先日ではとうとうこのブロードウェイを主戦場で戦ってきたS・ライト級のポーリー・マリナジがIBF世界チャンピオンとなり、周りのボクサー達、関係者達にも大きな影響を与えたばかりだ。興行的にも観客動員は安定し、今NYのファイター達にとって登竜門的なものへまでこの興行は成長している。
そのブロードウェイの会場で、いつも大柄な坊主頭の白人男がアルコールを片手に試合開始前からすでになにやら赤めた顔をして会場をうろついている。そんな男を目撃すれば、その男の名は多分、ルー・ディベラというだろう。
ディベラはこのブロードウェイのプロモーターである。あまりに親近感が持てる人柄の為、私は彼がプローモーターだと知るまではただのボクシングファンのほろ酔い気分の中年だと思っていた。しかし、後に彼のことを知り、その普段会場で見せる姿とのギャップに私は驚きを感じていた。
ディベラはNY、ブルックリンで生まれ育ち、1895年にハーバード大学のロースクール卒業後に弁護士事務所で働いていた。
そんな彼がボクシングに関わるきっかけとなったのはその4年後のことだった。HBOスポーツが面接弁護士を募集していたのだ。彼は言う、
「HBOスポーツに月曜に面接へ行って、火曜には仕事をしていたよ。」
その後ディベラは11年間をHBOスポーツで過ごす間、バイス・プレジデントにまで昇進した。そんな中、今や主流となったビッグマッチのペイパービューは彼のリーダーシップの下で広大したという。またオスカー・デラホーヤ、ロイ・ジョーンズJr、レノックス・ルイスといったスター選手をリクルートしHBOとサインさせたのも彼である。まだ見ぬスター候補をフューチャーした好シリーズ”アフター・ダーク”は彼の発案により始まり、今では誰もが知るスター選手達、マルコ・アントニオ・バレラ、アルツロ・ガッティやディエゴ・コラレス(故人)などもこのシリーズ後、名を馳せた。
「私は大きな会社で働くよりも、自分で会社を運営することの方があってるタイプだったんだよ。」
そう語るディベラは2000年、5月に総合的にスポーツをサポートする自らの会社、『ディベラ・エンターテイメント』を設立した。彼はここでHBOスポーツで身に付けた経験を下に、マッチメイカー、プロモーター、マーケティング・アドバイザー、テレビジョン・ディストリビューターとして独立後フル回転していた。その中で最も力を入れていたものが、『ブロードウェイ・ボクシング』の興行だったようだ。
彼は自分の育った街で自分が幼い頃から好きだったボクシングが衰退していくのを見るのが辛かった。NYは他のどの州よりもコストのかかる場所で、その資金を作ることにどのプロモーター達も悪戦苦闘していた。そして次第に興行そのものがNYシティを離れアップステイトの郊外や、カジノのあるNJのアトランティックシティなどへと移っていった。
そんな時だったのだ、ディベラが自らプロモーターとなり、NYのボクシングに活気を取り戻させようとしたのは。
そうしてブロードウェイ出身のマリナジが世界王者となったのが3年後のことだった。
その試合、マリナジはラブモア・ヌドゥとのタイトルマッチで試合を告げるゴングが鳴るのを聞くと、膝を折りリングへうつ伏せになった。勝利の確信と歓喜の中での行為であったのだが、そこにさらにマリナジ以上に喜びを爆発させたディベラが覆い被さったのは印象的なことだった。
それはプロモーターらしからぬ行為ではあったかもしれない、が、タイトル獲得こそマリナジの夢であったが、またディベラの目標でもあったのだ。
興行開始から今までの間、ブロードウェイは基本的に地元ホープ達が戦績の劣る相手と試合をし、圧倒して勝利するものが大半だった。当初はそんな派手な試合は観客からの反応も上々だった。しかし次第に観客の目も肥え始め、また世界を狙う前に組んだトップクラスの相手との査定試合ではブロードウェイの選手達が立て続けに躓いたため、興行的成功の裏でその過保護すぎるプロモートのやり方にブロードウェイは多くの疑問ももたれ続けてきた。それはマリナジが自らのビッグマウスとキャリアの間に開きがあると周囲の人間達の考えられてきた状況ととても酷似していた。彼等はタイトルを獲得することでそれらの疑問を払拭しなければならなかったのだ。
そしてマリナジが世界王者になったことで彼は自分の力を証明し、またディベラはこのブロードウェイが世界へと続く道であることは少なくとも証明できたのだ。
しかし、そのマリナジが世界王者となったタイトルマッチの前後で行われたブロードウェイで最近2つのアップセットがあった、2つのメインカードの試合でディベラと契約しているファイター達が、共に一発のパンチで逆転KO負けを喫してしまったのだ。同じかあるいは格上の相手だったらばまだしも、相手は連れてきた格下選手であり、また共に倒されたのが試合ではレベルの違いがハッキリと出始めた中盤のラウンドに入ってからの出来事だった。
これらの出来事であるいは今、ブロードウェイは何らかの変化が必要なのかもしれない。
ある時、ディベラはこう語ったことがある、
「いつか『ブロードウェイ・ボクシング』をNYから全米的なレベルの興行にまでしたい」と。
はたして『ブロードウェイ(広い道)ボクシング』はその名の如くNYのメインストリートを突き抜け、全米まで伸び進むことができるのだろうか。いつかそんな日が来た時、そこでは顔を赤めたディベラの姿があるのかもしれない。
———終わり
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